この記事に辿り着いてくださった方、日々の生活で何だか色々心が疲れていますよね。
そこで、この記事では私自身の幼少期からの体験談をもとに、皆さんの心のモヤモヤを分析して「一体何がしんどい原因なのか?」一緒に探っていきたいと思います。
- 毎日が「しんどい」と感じる理由
- 自分の親が「毒親」かどうか
- どうやって「しんどい」気持ちと向き合っていくべきか
自己紹介
まずは私の生い立ちと、大人になってからの「しんどい」状況をお話ししたいと思います。
家族構成
- 【父】元・銀行員。リーマンショックや大規模合併(吸収)にも耐えながら金銭的に家族を支えてくれた。私には基本優しかったが、兄には鬼と化していた。恐らく当時、何かしらの精神疾患を患っていたと思う。
- 【母】専業主婦。父のパワハラに怯え、父の意見が絶対。父のストレスのはけ口だったので母自身も常にストレスを抱えていて、子ども達にも厳しかった。
- 【兄】不器用。幼少期はいじめられっ子気質だった為、親の勧めで中学受験。有名私立中学・高校⇒大学へ進学。現在は某大手企業で働いている。
- 【私】兄が叱られているのを見て育っているので、日々恐怖に支配され、とにかく「いい子」でいることに努めていた。中学受験⇒中高一貫の進学校⇒早稲田大学⇒某大手メーカーの総合職に就職⇒結婚・出産後に心を病み、退職。現在はフリーランスとして働いている。
辛かった幼少期
両親をひとことで表すと「攻撃的」です。
これは暴力的という意味ではなくて(いや正直、父からの暴力もありましたが…)
- 親が常に子どもを見張っていて、何か気に入らないことがあると容赦なく責めてくる
- 褒めることがほぼない
という環境です。
幼少期に必要な「心のよりどころ」や「自己肯定感」が育まれることなく育ちました。
親の口癖で「結果が全て」と常に言われていましたし、努力の過程を褒められることは全くありませんでした。
今でも、小学校のテストで85点を取った時「90点を下回ったらお父さんとお母さんに怒られる。」と学校で泣いたのを覚えています。
エピソード①
兄の中学受験時(私は小学校低学年)の家は特に心の休める場所ではありませんでした。
父は兄の成績が奮わないと連日連夜兄に対して暴力を奮い「ゴミ!」や「お前はゴキブリ以下だ!」など罵声を浴びせていました。
兄は真冬の夜中に家を追い出されることもあり、着のみ着のまま追いかけた母と一緒に締め出され、二人抱き合いながら玄関先で夜を明かしたことも一度や二度ではありません。
私は、その度にジャンパーにありったけのおやつ(食料)を詰めて、兄と母のところに2階の子ども部屋からこっそりと上着と食料を落として届けたものです。
夜中に兄が怒鳴られている時間は、私は2階で一人で起きているのが怖くて、リビング隣の洗面所で耳を塞ぎながら父の怒りが収まるのをじっと待っていました。
今でも思い出すたびに辛い気持ちになる記憶です。
エピソード②
兄の中学受験が終わった後は、父のストレスのはけ口がなくなり、母への暴力が増えました。
ある日、思春期の私が父にそのことに対して勇気を出して注意をすると、追いかけてきて殴り掛かられたことがありました。
母が私に覆いかぶさり、私の目の前で代わりに殴られていました。
私は怖くて母を助けることができませんでした。
一生消えない心の傷です。
エピソード③
私の大学受験時期と父の会社での左遷が重なり、私にとって一番つらい時期でした。
リビングで勉強していると父が暴れだし、殺気を感じた私達がこっそり凶器になりそうな包丁を隠したりもしました。
センター試験当日に父と大喧嘩して家を飛び出し、松屋で夜を明かしたことも。。
私自身も家族もストレスフルな日々だったと思います。
エピソード④
実は就職した後も、孤独でつらい状況は続いていました。
ハードワークで心が疲れていた時、たまたま両親と旅行に行った際、私は「仕事がつらい」という話をよくしていました。
その時には黙って聞いてくれていましたが、父は明らかに機嫌が悪くなっていました。
「あ・・・。親に弱音はいちゃダメなんだった。。」
と、早くも悲しい気持ちになっていた私でしたがこの後、私の心をもっと追い込む出来事がありました。
その旅行で、スマホの充電器を忘れていた私は旅行中父の充電器を借りていたのですが、それを返すのを忘れて一人暮らしの自分の家(実家からは遠方)に持って帰ってしまいました。
このことがきっかけで、虫の居所が悪かった父は大激怒!
「すぐに持ってこい!!!怒」と怒鳴りつけられました。。
多分、普通の人はこう思うと思うんです。
「近くのコンビニで買えばいいのでは・・・」
でも、父は私がいい加減に仕事をしている(ように見える私の態度)ことと、いい加減なものの管理が(返却を忘れたこと)リンクして、そのこと自体に怒っているのでコンビニで買えばということではないんですね。。
当時は自分の気持ちを受け止めてもらえなかったばかりか、少しのミスに激怒されて、そもそも心が疲れ切っていて孤独だった私はなんとも言えない悲しい気持ちになりました。
本来「安全地帯」であってほしい家族は、私にとっては全く心の休まる場所ではなかったのです。
厳しい環境で育った結果・・・
そうやって「結果が全て」という厳しい環境で育ってきた結果、私は結果を出して親を喜ばせたい一心で「学歴だけ」は手に入れました。
しかし、心休まる場所がなく頑張り続けることを強制されていた私は、就職先のブラックな仕事内容と育児・家事の前に「もう頑張れない・・・」と気力を失い、心を病んでしまうのです。
結婚してから気づいた違和感
私には大学で出会い、1年時からお付き合いをし、そのまま結婚した男性がいます。
彼との出会いが、私を辛く苦しい環境から救い出してくれました。
主人は超がつく自由人。
高校にもあまり行かず好きなことをして生きてきましたが、彼の両親もそれを容認。
当時の私にはその状況が信じられなくて「親も甘やかすからこの人はこんなにだらしないんだ!」ぐらいに受け止めていました。
しかし社会人になり、結婚・出産後に仕事で心を病んだ私への両親の対応で、私は自分の生い立ちに違和感を感じたのです。
それは、ある出来事がきっかけでした。
主人と両親に「仕事が辛い。辞めたい。」と伝えた結果・・・
当時の私は、精神的に追い込まれていて毎朝ボロボロ泣きながら出勤していました。
情緒も不安定で、主人や子供たちにツラくあたる日も多かったです。
今思えば心の限界だったと思います。
しかし、まじめ(過ぎ)な私は「仕事を辞める=逃げる」という固定観念に縛られて身動きが取れなくなっていました。
その状況を見かねた主人は私に「君を苦しめている会社を辞めるか、それとも離婚するか選んでくれ。俺は君を幸せにしたいと結婚したんだから、まずはツラい状況から早く解放されて欲しい。お金のことは自分がなんとかするから。もう自分のそばにいてくれるだけでいいから。」とまで言ってくれました。
そのことが私の背中を押してくれ、退職を決意。
両親には子ども達の保育園の送迎等お世話にもなっていたので、退職の報告をしました。
すると「せっかく大学まで出してやったのに!なんのためにここまで頑張ってきたんだ!お前は逃げて、無職になって、恥ずかしくないのか!?」と叱責されてしまったのです。
私は「この人達は、私が幸せかどうかなんてどうでもいいんだ。辛くて病んで、命を捨てたとしても、あいつが弱いのが悪いと思うはずだ。」と絶望しました。
この出来事がきっかけで、私は自分の親が「異常」なのでは?という違和感を感じ始めました。
毎日が「しんどい」原因
皆さんがしんどくなっているのは、もしかしてご自身の生い立ちに原因があるかもしれません。
目の前のしんどい状況だけでなく「なぜ私はここまで苦しいのか?」その根本的な原因を追究し、理解するだけで「あぁ、だから私は苦しいんだ。私が悪いんじゃない。ただ苦しい生い立ちの中でこういう私になっただけ。」と心が和らぐかもしれません。
私自身、退職時の体験の中で自分の生い立ちの異常性に目を向け、自分の性格と向き合い、以降はできるだけ心が穏やかでいられる方法を「自分自身で」選択するようになりました。
自分の親が「毒親」かどうかのチェックポイント
毒親チェックポイント
- 親からの期待・プレッシャーを常に感じて育った
- 条件付きの愛情ばかり与えられていた
- 「結果が全て」と努力の過程は褒めて貰えなかった
- 家が心安らぐ場所ではなかった
- 暴言・暴力があった
- 親の機嫌ばかり気になり常に緊張感を持って過ごしていた
これらに一つでも当てはまり、今生きづらさを感じているとすれば間違いなくあなたの親は「毒親」です。
「しんどい」自分との上手な向き合い方
自分の親が「毒親」だったという事実は、子どもの立場から受け止めるのはツライものです。
自分の生い立ちを否定するのは悲しいことです。
ただ、今生きづらさを感じているとしたら、それはあなただけの責任ではないのです。
でもちょっと待ってください。
これからの人生をどう歩んでいくかは「あなたの」責任です。
私の兄の話をしましょう。
その後、彼の人生はどうなったか?
実は「めちゃくちゃ強い人間」になってます。
あんなに虐待まがいで育てられたのになぜ??私は兄に聞いたことがあります。
「俺、親に謝ってほしいと思ってないから。そんなことしても無駄だから諦めてる。そんなことよりもそういう風に育った自分を武器にしてこれからどうやって生きてやろうしか考えてねえよ。」
・・・つ、強い!強すぎる!
でも事実、親に反省や謝罪を求めるのは無駄ですね。
だって客観的な意見を聞き入れられる人はそもそも毒親になりません。
彼らは自分たちの子育てを省みて反省なんて絶対しません。
だって受け入れるのには「勇気」が必要なんです。
その勇気がある強い人間は毒親になんてならないんです。
きっと、彼らにも「毒親」にならざる負えない深い理由があった(精神疾患になるほどの職場環境・経済的不安など)と思うんです。
毒親としての行為は到底許されることではないけれど、私たちはもう親の理解や応援なんてなくたって、立派に幸せになることができるんです。
きれいごとばかり書き連ねていますが、実はこの記事は私自身に言い聞かせるために書いています。
私は兄のように強くない。未だに昔のことを思い出して涙が出ることもある。
だけど、過去に囚われても仕方ない!「これからの自分」に目を向け、親の呪縛から自立すべき時がきたと思っています。
2020年9月追記
実は2020年現在では、両親との関係は良好です。(念のため追記しておきます)
実は退職時の事件がきっかけで両親とはかなり長い時間、絶縁状態で距離を置いていたのですが、やはり親子の縁はそう簡単には切れないものです。
今までの生い立ちの全てを許すことはできないけれど、両親からの愛は確かにあったと思っていますし、今では年老いてきた両親の心にも余裕が出てきて、少しずつ考え方だったり、私自身への関わり方も変わってきています。
こんな風に考えられるようになったのは、「主人が私にとっての安全地帯」であるからに他なりません。
改めて、主人に感謝したいと思います。よきパートナーでいてくれてありがとう。
それから念のため。「毒親」な両親にも感謝します。不器用すぎる愛だったけど、確かに受け取っています。これからも、どうぞよろしく。